共働学舎新得農場 代表 宮嶋望の発言と実践

宮嶋 望の発言

2017年の春に

「十勝ラクレット モールウォッシュ」 いよいよ共同熟成庫からの出荷がはじまっています

共同熟成庫でのウォッシングのようす

この春(2017年)、ここで何度かふれてきた十勝の6つのチーズ工房が共同で使う熟成庫が、ついに本格始動しました。十勝品質事業協同組合が、十勝川温泉街(音更町)に隣接した一画に運営する共同熟成庫です。生産するのは、ウォッシュする塩水に十勝川温泉水を使ったラクレットチーズ「モールウォッシュ」で、最初の出荷分が本州の北海道物産展で早くも好評をいただいています。
ラクレットとは削るという意味のフランス語で、断面を加熱して溶けたところを削ってジャガイモや堅焼きパンなどにからめて食べるチーズです。厳寒の地である十勝ならではの、暖かなチーズ料理ですね。また、加熱せずそのまま食べてもおいしいのです。

「モールウォッシュ」は、管内の6つのチーズ工房が、共通のレシピでそれぞれ作り、このひとつの熟成庫で約二カ月間熟成させて生まれます。十勝の大地の牧草を食(は)んだ牛たちの乳から作ったチーズを、十勝川温泉水をベースに塩とリネンス菌を加えた液で2日に1度程度ウォッシュして外側から熟成させていくのですが、これはまさに十勝の風土が作り出す逸品といえます。同じレシピとはいえそれぞれの工房のミルクの質や発酵の微妙なちがいも、味わいの幅を広げてくれます。何千年も前から人間が微生物の力を借りて作ってきたチーズという食べ物は、均質均一を絶対的な条件とする工業製品とはまったく違うものづくりから生まれるのです。

熟成が進むにつれて、ラクレットの表面はリネンス菌の働きでオレンジ色になり、全体の風味が増していきます。この菌を立ち上げるためには、一般にはアナトーという南国のベニノキ由来の、強アルカリ性の色素が使われます。僕たちはこれを地元の素材でできないかと研究を重ねる中で、アナトー同様に強いアルカリ成分をもつ十勝川温泉のモール温泉水と出会ったのでした。灯台もと暗しですね。この温泉水は太古の湿原の泥炭が変成した亜炭を含む深い地層から湧き出るので、植物性の有機物をたくさん含んでいます。代表的なものがフミン酸。フミン酸は、太古の植物などが微生物によって分解されつくした成分で、かつて微生物が分泌したさまざまな酵素が豊かに含まれています。だからリネンス菌が乳のタンパク質を外側から微細に分解していくのをうまく助けてくれます。フミン酸はもともと、硬水を柔らかくしたり、発酵を助けるなど、食品加工の分野でも使われている成分です。

フミン酸をたっぷり含むこのモール温泉がどうしてできたのか。十勝の風土を語るために、そこから説明してみましょう。帯広百年記念館には、十勝の大地の成り立ちがよくわかる解説パネルがあります。
まず、地球の表面は10数枚の巨大なプレートで構成されていることはご存知だと思います。これがきわめて長い時間をかけてぶつかり合っているのですが、いま北海道のある場所がまだ海だった1千万年前くらいのこと。西のユーラシアプレートと東の北米プレートがぶつかり、下から押されて北米プレートがめくれあがるようになりました。上昇するのは一年に数ミリという単位ですが、これが日高山脈のはじまりです(北米プレートの一部にオホーツクプレートがあるとする考え方もあります)。この時代、十勝平野はまだ大きな海。160万年ほど前になると、海はせばめられて湾になりました。クジラも泳いでいたこの古十勝湾は、いまの陸奥湾(青森県)くらいの大きさだったそうです。
この時代は氷河ができる氷期と、温暖な間氷期がくり返し訪れます。そして約100万年前になると、十勝三股で大規模な火山活動がつづき、湾に膨大な量の火砕流が流れ込みました。それから20万年くらいたつと湾口部がしだいに隆起して、外洋から閉ざされて陸地化がはじまります。平野の中央部には、いまの釧路湿原の何倍もある広大な湿原が広がりました。湖沼の水草は枯れて底にたまってやがて泥炭になり、これが地中でしだいに亜炭層を形成するようになります。亜炭とは、質の低い石炭の一種です。
さらに時代が下った4万年〜2万年前。道央で、支笏湖が誕生することになる大噴火が続きました。周辺の恵庭岳や樽前山も大噴火を繰り返し、これらが吹き上げた火山灰は偏西風に乗って日高山脈を越えて十勝の湿原にも絶え間なく降り積もりました。この時代の十勝平野は、荒涼たる砂漠や砂丘と化します。そして長い時間をかけて沙漠がまた湿原になり、湿原の上にまた火山灰が降り積もる。こうして、異なる層がパイ生地のように重なった複雑な地層ができていきました。
太古の大量の火山灰は土地の酸性を高め、農業にとっては、稲作よりも畑作や牧草地に向いた土壌環境を作りました。特に火山灰がもたらしたミネラル分と恵まれた日照などは、牧草を育てるのに良い条件を十勝に作ったといえます。

十勝川温泉の温泉水は地下数百メートルから湧き上がりますが、地上に出る途中でこのいくつもの亜炭層を通り抜けます。そのときにフミン酸などをたっぷりと含むことになり、強いアルカリ性を帯びた軟水となります。これが、人間には美肌を、リネンス菌には元気に活動できる良い環境をもたらしてくれるわけです。
このように、共同熟成庫から生まれる「十勝ラクレット モールウォッシュ」には、1千万年以上前の日高山脈の誕生からはじまる、十勝の大地の壮大な営みが溶け込んでいるといえるのです。

十勝では、1990年代のはじめからフランスの専門家を招いてナチュラルチーズづくりの取り組みがはじまりました。日本のチーズ工房は、年を追って数を増やしているものの規模が小さく、地域の産業として認められるまでには至っていません。点や線止まりで、面とは呼べないのです。また各工房の規模も限られているので多くの種類をまわしていかなければならず、じっくり熟成させていくタイプのチーズを大量に熟成させるスペースを確保することも難しい。そこで僕たちは、90年代からの取り組みの土台の上に、2014年から十勝品質事業協同組合として、共通レシピによるチーズの共同熟成庫の実現に向けて動き出したのでした。これは日本ではじめての取り組みで、日本のナチュラルチーズが重要なステップを一段上ったといえます。
ワインとちがってチーズは、熟成庫に静かに寝かせておけば良いというわけにはいきません(ワインの熟成が簡単だということではありませんが)。ひとつひとつの状態を正しく見極めながら、ウォッシュを繰り返して熟成を適正に進めていく手間と技術が求められます。フランスではチーズ熟成士という国家資格があり、チーズを熟成するプロフェッショナルがたくさん活躍しています。だから、土地に根ざした小さな工房群が、風土の個性を体現するような上質なチーズを、地域のブランドとしてある程度の量生産することができるのです。日本でもやがてそんな時代が来ると思います。十勝はその先駆者になりたいのです。

フランスには、地域の個性豊かな上質な産品を不当な競争から守るAOCの制度があります。日本でも2015年から、これに準じて、そうした産品の名称(地理的表示)を知的財産権として保護する制度、「地理的表示保護制度」(GI)が施行されました。十勝品質事業協同組合では、十勝のエッセンスのようなこのラクレットを現在申請中です。
フランスAOCの成り立ちや日本のGIについては、当サイトの別の稿で詳しくふれていますので、どうぞご覧ください

温泉街の上にある十勝が丘展望台からの風景

「2017.05.26 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」

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宮嶋 望の発言

2017年の春に

真木共働学舎の取り組み

映画『アラヤシキの住人たち』に寄せて

「モンデュアル・デュ・フロマージュ2015」に参加して

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から

「2015年3月の宮嶋望セミナー」から

イタリアで考えたこと

共働学舎新得農場の成り立ち

レポート