宮嶋 望の発言
「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から
幸せを感じとる力を
共働学舎新得農場には、心身にいろいろな負担を抱えたり、日々の中で自分の居場所が見つけられない人たちがやってきます。いわば人間社会の中で「弱い人」たちです。時間がかかりますが、彼らはこの農場の暮らしになじんでくると、自分ができることを自分で少しずつ見つけていきます。例えば、軽い農作業や、牧舎の掃除、羊やブタやニワトリの世話、あるいは出荷する野菜の箱詰めや、工芸品づくりの手伝いなどです。70人以上いるメンバーの食事の用意や後片付けも、大切な仕事です。
一般の企業社会のスピードから見ればおそらく、仕事が遅くて話にならないという人ばかりでしょう。しかしここには基本的に、指示を受けたから、義務だから、と働く人はいません。いまここにいる自分ができることは何かを自分で考え、それに取り組むことで自分の暮らしを、不器用でもなんとか必死に成り立たせる。そういう人たちが、僕たちの仲間なのです。
社会的に弱い人にとっては、いたずらに伸びしろに希望を託すよりも、いまある力で堅実に生きていくことの方に意味があります。僕は、「自分が幸福である」と感じられる生き方を、ひとりひとりが見つけてほしいと思っています。そのためには、幸せを感じとれる基盤が必要です。そこで有効なのが、生きものと関わることです。酪農でも農作業でも同じです。自分が世話をしなければ、目の前のいのちが消えてしまう。そこに気づいた人は、より強くなれます。
さらに言えば、人間だってこうした生きもののひとつにすぎない。おいしいミルクをおいしいチーズに加工するために欠かせないのは、牛たちが健康に暮らし、チーズを作ってくれる微生物がいきいきと活動すること。そしてそんな環境があれば、人間だっておのずといきいきとしてきます。つまり微生物から動植物、人間にいたるまで、生きものをいきいきと活動させる環境をつくることができれば、すべての生きものは宇宙や太陽がつかさどるひとつの摂理にしたがって健やかに、そして幸福に暮らすことができます。酪農や農業は、自然の大きなリズムにさからわなければ(不協和音を出さなければ)、自然と豊かに響き合ってうまくまわるでしょう。個人の生き方や、社会全体の営みも、またしかりです。
また農場では僕の長女が、毎週歌と絵のワークショップを開いています。歌を歌ったり、ライアーというシンプルな楽器を奏でたり、そして自由に絵(にじみ絵)を描いてみる体験です。単に頭の知恵や工夫だけではなく、手足や身体を駆使するアートという営みによって心身を開きながら、自分を表現したり自分を見いだしていく。そこから、幸せを感じとる心(基盤)が育まれることが期待できます。
農場では、たとえば子どものときに統合失調症と診断された青年が、羊の毛でフェルトボールを作っています。羊毛を手の平で根気よく整えていくのですが、手の平へのやわらかい刺激が彼を落ち着かせるようです。そして何人かで工程を分担しながら、それを携帯電話のストラップにしていき、商品として販売します。これが売れたとき、青年とその仲間はみなとても喜びます。いままでの人生で笑ったこともなかった顔に、自然に笑顔が浮かぶのです。能率はとても悪くても、重要なのは彼が治療やリハビリではなく、生産をしていること。こういうところから、生きていく手応えがつかめるのです。商品にする予定もなく長い時間苦労して作った大きなタペストリーが、なんと10万円で売れたメンバーもいます。彼の喜びはどんなに深いものだったでしょう。
どんな人にも、自分で考えて自分で決める自由があるはずです。そこからささやかでも喜びの感情が生まれ、その積み重ねが、「自分が幸福である」気づきになります。
共働学舎新得農場で暮らすみんなに実感して将来に活かしてほしい3つのことがあります。
ひとつは、「苦悩や不幸は乗り越えられる」、ということ。自分の人生の主役であり主語になるのは、あくまで自分です。いろんな人に助けてもらいながらも、最後は自分で考え、自分で決めて、自分で行動する。小さなことからでもこれができれば、苦悩や不幸はきっと乗り越えられます。こうしたことを、自らのとてもダイナミックな生き方を通して語る、Dr.バリー・カーズィンという、僧侶で医師の方がいます。チベットでダライ・ラマのもとで長年修業したアメリカ人ですが、彼の『チベット仏教からの幸せの処方箋』という本をたいへん興味深く読みました。
ふたつ目は、「健康や安心に結びつく食べものや環境を作ろう」ということ。そのための技術や知恵をさらにしっかりと確立していかなければなりません。
最後は、「経済優先の考え方を越えていのちを活かす価値観を広げていこう」ということ。経済優先の思想からは生まれ得ない種類の価値の世界を、探求していきたい。食の世界では、量を求めていけばどうしても品質は落ちていきます。そうしてできたものでは、いのちの力が弱まります。経済を動かす仕組みばかりが発達して、人間がそのシステムの歯車や奴隷になってしまっては本末転倒で意味がありません。これからの食のものづくりでは、いのちの力が息づく「品質と個性」こそが核心になるでしょう。
父とマザー・テレサに会いにいったとき、彼女は、弱い人がいちばん必要としているものを届けたい、と言いました。僕たちの農場も、この願いを共有しています。
やがてあるときから僕は、ここに来る弱い人たちは、僕たちに何かを伝えるメッセンジャーではないのか、と考えるようになりました。
いつの時代のどんな社会にも、それを動かす仕組みにうまく適応することができない人たちがいる。見方を変えれば、彼らは多くの人に、この社会がまだまだ不完全なものであることを教えてくれているのです。世界がいまよりももっと平和で安心に満ちたものになるために、さらには、多様な人たちがちゃんと自立してそれぞれの個性を活かしながら、その上で豊かに響き合って生きていくために、僕たちは彼らと共に働きながら、彼らから何かのヒントを受け取っているのにちがいありません。社会がまだ解決できない問題を解決するために、僕たちにもできることがある。そしてそれは、次の社会がさらに切実に必要とするものではないだろうか。働く現場で、いつもそんなことを考えています。
※2015.05.10「札幌豊平教会建設55周年記念講演会」より(札幌豊平教会)
「2015.05.20 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」