宮嶋 望の発言
「共働学舎新得農場の成り立ち」
AOC会長ジャン・ユベールさんとの出会い
フランスのチーズのAOC(原産地呼称統制)を立ち上げ、長くリーダーを務めたジャン・ユベールさんは、早くからアメリカ流のグローバルスタンダードという考え方に異を唱え、周到な戦略でフランスチーズの価値を高める活動を展開してきました。彼の主張と行動の核には、たったひとつの基準(グローバルスタンダード)で世界の食糧の生産と流通を切り取ってしまうと、古くからある地域ごとのかけがえのない生業や文化を壊してしまう、という危惧や怒りがありました。そのために強く打ち出したのが、品質、特徴、個性というものをきちんと認証して保護する仕組み作り(AOC)だったのです。
規模や効率や、どこでも均一なスペックを尊重するアメリカ流のモノづくりに対して、自分が暮らす土地の固有の価値を軸にしていくユベールさんらの生き方は、いま日本がそれをお手本に取り組みはじめた原産地呼称や地理的表示の保護制度につながっていきます。共働学舎ではいろいろな負担や悩みを持っている人を受け入れています。自分とちがった境遇にある人たちと共に生きていくことを選びながら、「自分たちがどうしたら自分たちでいられるか」と問い続けていくことは、ユベールさんらの歩んできた道にも重なっています。それは当然、アメリカ流の経済やモノづくりとは一線を画すことになるでしょう。
1989年、フランスでユベールさんと最初に会ったとき、僕は本物のチーズを作りたい、チーズづくりを教えてほしい、と訴えました。すると彼はこう言いました。「なぜだ? 日本では白い液体(牛乳)を売っていれば金になるんだろ?」 日本のことをちゃんと調べていたのです。僕は答えました。「それでは僕らは生活できない。農家1軒分の飼育頭数で、10倍の人間が暮らしているのだから」。
「どういうことだ?」
「僕らのところには、障害を持っていたり悩みを抱えた人間たちがどんどん来てしまう。だから付加価値を高めたものを生産しなければならないのです」
彼はしばらく考えていました。僕は、障害者などがどんどん来ると口にした瞬間に、しまった、と思いました。そんな中途半端な気持ちで本物のチーズを作るつもりかと怒られると思ったのです。しかし、それを受けて彼が口にした言葉はまったく意外なものでした。
「そうか、じゃあおまえを応援してやろう」。
はっ、と思いました。原産地呼称の制度は、フランス南西部のボルドーではじまったと聞いています、産業革命の前、ボルドーでは小さな畑を馬でおこして、ぶどうをていねいに管理しながら、手で摘んで、すべて人間の手作業でおいしいワインを作っていました。そして現在ボルドー型と呼ばれる形のボトルに入ったボルドーワインは、とても高く評価されていました。しかしイギリスで産業革命が起こって、大量生産と大量消費で財をなすことをめざす資本家が出現します。彼らはワインにも目をつけてボルドーに工場をつくり、農家のブドウを買い漁ったのです。機械でつぶして機械で瓶詰め。ボルドーのぶどうをボルドーでワインにしているのだからボルドーワイン。これが安い値段でどんどん出回るようになってしまいました。
ところがやがてマーケットでは何が起こったでしょう。ボルドーワインは質が落ちたという声があちこちで出て、売れ行きは急降下。さらには、もともとのやり方で作っていたワイナリーのものまで売れなくなってしまいました。
彼らは、自分たちは昔からのやりかたで正しく作っているのだから、どうか高い値段で買ってほしいと訴えます。でも、それが昔からの高品質のワインだということを、どう証明するか。そこがポイントとなりました。
そこで彼らは、以前と同じ畑で、同じ方法で、同じ道具を使って同じ瓶に入れて作るのがボルドーワインだ、という仕様書を作ります。これ以外の方法で作ったワインはボルドーワインとは名乗れない、と。そしてそれをボルドーの議会を通して条例化させました。これがAOC(原産地呼称統制)のはじまりです。
原産地呼称の法律は、土地に根ざして生きる経済的に不利な人間を守る目的で作られました。ユベールさんは言いました。
「おまえは工業国の日本で経済的に不利な人間といっしょにものづくりをして自立したいのか?」
「oui!」。
「だったら教えてやろう」。
実に筋が通っています。でもそういう考え方をするのか、とびっくりもしました。そんないきさつがあって、僕もいろいろ準備に奔走して、1990年の11月、ユベールさんは十勝に来てくれました。仲間たちと「第1回ナチュラルチーズ・サミットin十勝」という催しを開いたのです。
彼は自分のトランクに32種類のチーズをもってきました。どれもすばらしいチーズで、ほんとうに驚きました。そして僕のチーズの工房を見て言いました。「おまえはここで俺が言うチーズを作るのか?」。質問自体が、それはムリだぞという意味でしょう。僕はとっさに、「いや、新しい工房を作ります」。
なんの裏づけもなかったのですが、思わずそう言ってしまいました。
「あなたのいうチーズを作るためにいちばん重要なことは何でしょうか?」
彼はひと言だけ言いました。「牛乳を運ぶな」。
フランスでも話したし、もうわかるだろう。あとは自分で考えろ、と。
考えました。そしてまず、自分の牧場でしぼり、その場でチーズにすることだな、と思いました。フェルミエタイプ(農家自家製)の工房を作れ、と。牛乳は、タンクローリーに入れられた瞬間にトレーサビリティが切れてしまいます。肉などはチップをつければ良いのですが、液体はそうはいかない。逆にいえば、自分のところだけで作れば安全証明につながります。フェルミエタイプのチーズを作ることは、当初から僕の考えでもありました。
そしてもうひとつは、ポンプを使わないこと。機械は、食べものになる命のエネルギーを削いで劣化させます。僕は物理を学んだ人間ですから、その意味はすぐわかりました。いわば、産業革命以前の作り方をできるだけ尊重すべきなのです。
すぐ構想を練りはじめました。チーズ工房は床を下げて、搾乳の施設から重力だけで牛乳が運ばれる仕組みを考えました。ポンプを使わないためです。
その年のうちに図面を描いて、建設費やその後の事業計画を計算して、町と農協にかけ合い、いろいろ駆けずり回って1億1,200万円を集め(畜産基地建設事業の補助金など含め)、4月から工事をスタートさせました。
この事業計画の裏付け(捕らぬ狸の〜ですが)を大まかにいうと、こういうことです。
年間搾乳量の目標は、400トン(当時)。これを牛乳として出荷すれば3200万円くらいになります。労賃として手元に残るのはその3割ちょっとの900万円くらい。しかし新得農場にはふつうの農家の10倍の人間がいるのだから、10倍の労賃を稼がなければなりません。ということは400トンの牛乳で9000万円以上。これを、より付加価値の高いチーズで計算すると、労賃で計算できるのは6割くらい。400トンの牛乳からできるチーズは、ホルスタイン種の場合約40トン(牛乳の10分の1)です。キロ3000円の卸値で計算すると売り上げは1億2千万円。この6割が残ると、7200万円。これでは足りません。しかしブラウンスイス種だと、チーズの歩留まり、つまりチーズになる量が2割以上増えます。そうすると48トンで、売り上げは1億4400万円。残るのは、8640万円。これでもまだ足りませんが、ここで気づきました。チーズ製造にかかる製造コストは液体の量にかかるので、余分に生産される8トンのチーズには製造コストはかかっていないのです。その売値は2400万円。そこから販売コストである1割240万円を引くと、2160万円。ホルスタインのチーズからの7200万円に足すと9360万円。なんとか9千万円を超えます。話を進めることに決めました。
工房が出来上がると93年の暮れにユベールさんに連絡を入れました。「あなたが言うような仕組みができた。だから来年の春にあなたが認める技術者を寄越してほしい」、と。1年でそこまでやったので、彼はびっくりしたようです。そしてフィリップ・イブランドさんという優秀な職人を派遣してくれました。
「2014.06.16 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」