共働学舎新得農場 代表 宮嶋望の発言と実践

宮嶋 望の発言

映画『アラヤシキの住人たち』に寄せて

「真木共働学舎」が記録映画になりました

去る5月(2015年)に公開され、9月には北海道の帯広や札幌、函館、苫小牧などでも上映されている『アラヤシキの住人たち』という映画があります。北アルプスの山あい、長野県小谷(おたり)村にある「真木共働学舎」の四季を記録したドキュメンタリーで、皆さんにぜひ見ていただきたい映画です。監督は、僕の自由学園での先輩である写真家・映画監督の本橋成一さん。

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チェルノブイリの原発事故で被災した小さな村の暮らしを追った『ナージャの村』(1998年)や、ベルリン国際映画祭受賞作『アレクセイと泉』(2002年)などで知られる本橋さんは、共働学舎を創設した父宮嶋眞一郎が自由学園で教えていた時代の教え子でした。ご本人曰く、「眞一郎先生にたいへん心配をかけた生徒だった」ので、そのぶん卒業後もときどき眞一郎から電話やハガキが来て、自分を気に掛けてくれていることがうれしかったそうです。本橋さんは、5年ほど前から真木に何度も出かけていました。そして映画作家として、「真木共働学舎」の暮らしを未来に残したいと考え、2013年の早春から撮影をはじめたのでした。

「真木共働学舎」は、自動車が入れない山の中にあります。およそ4百年前に開かれた小さな集落ですが、高齢化のために廃村となってしまい人間が途絶えたところに、1978年に眞一郎と数人の仲間が生活をはじめました。いまは20代〜60代の男女十数人が農業を営み、犬や猫、ヤギや鶏たちと自給自足の暮らしをしています。真ん中にいるのは、僕の弟宮嶋信と奥さんの美佐紀さんです。
心身に困難をかかえた人でも、「自労自活」(自分たちの暮らしを自分たちでつくる)の精神で自分の力で生きていこう。重要なのは、競争ではなく協力。一人一人がちがいを認め合って、自然の営みにのっとって暮らしを成り立たせよう——。これが共働学舎の根っこにある考えですが、真木共働学舎は、そうした僕たちの理念をもっとも素朴に体現している場所だといえます。なにしろ峠越えの4キロの山道を1時間半かけて歩くことでしかたどり着けませんし、冬には2メートル以上も雪が積もります。

映画は、待ちこがれた雪解けの季節からはじまります。冬のあいだ麓に移していたヤギたちを連れて、メンバーが山道を上っていきます。やがて代掻(しろか)きが終わるとメンバー総出の田植えがあり、とれたての野菜が食卓に並ぶ夏、ソバ刈りや稲刈りの秋へと、白馬三山を望む土地での暮らしがありのままに映し出されます。舞台の中心は、共同生活が営まれるアラヤシキ(新屋敷)とよばれるとても大きな家(90年前に建てられた茅葺屋根の家)で、台所にはみんなを支える古いかまどがあります。
紅葉がすぎると人々をぶ厚い雪に閉じ込めてしまう厳しい冬が来て、春が近づくと、難産の末に子ヤギが生まれます。1年のあいだには、いろいろな人が出入りして、メンバーのそれぞれにもさまざまな出来事がありました。ハイライトのひとつは、赤ん坊を抱いて青空の下で行われる若いメンバーの結婚式です。

とくに印象的な登場人物として、エノさんとミズホさんというふたりのおじさんが出てきます。ともに20年以上ここで暮らし、一般社会では仕事につくのがむずかしいような人。でも真木では、メンバーはもとより都会から研修にやってきた女子学生なども、みんなでふたりのことを理解しようと、彼らに歩み寄ります。エノさんのしゃべりは、はじめての人にはほとんどが意味不明なのですが(笑)、慣れてくると半分くらいは分かるようになる。おもしろいことに、エノさんに「正しい話し方」を教えようという人はいません。またミズホさんは、結婚式で祝いの謡(うたい)を朗々と披露しました。彼は能楽の名門の生まれなのです。

この映画に、説明的なカットやナレーションはほとんどありません。本橋さんは、見た人それぞれが見たままにいろいろなことを感じてほしいと言います。作り手の理屈やメッセージを読み解いていくよりも、まず、いまこの国にこんな手作りの暮らしを何十年もしている人たちがいるんだ、と知ってほしい。そこからあなた自身が見えたり感じることを大切にしてほしい、と。ここにあるのは、波瀾万丈のドラマではなく、あくまで共働学舎の日常です。演出のための音楽もいっさいありません。
本橋さんは、「真木では眞一郎先生がめざしていたことが最もわかりやすく実践されていると思う」と言います。共働学舎ってどんなところですか? とよく聞かれます。おおよその答えは、いくら言葉で説明するよりも、この映画を見ればわかっていただけると思います。そしてこの映画でもそうですし、新得もそうですが、学舎の存在に興味をもって若い人たちがよく訪ねて来てくれます。僕たちにとってそれはつねに大きな希望です。たとえ世の中が良くない方に傾いていっても、彼らがいればやがてゆっくりと揺り戻せるはずだ。僕はそう思っています。
映画が本橋さんの本拠地(東京都中野区・ポレポレ東中野)で初公開される4日前、病に伏せていた宮嶋眞一郎は92歳で逝きました。そのことも、僕たちにとってこの映画をいっそう心にしみるものにしました。

※2015.08.26札幌にて

※十勝毎日新聞社 浅利圭一郎記者による本橋成一さんと
宮嶋望へのインタビューに同席させていただきました。感謝申し上げます。

「2015.09.20 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」

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INDEX

宮嶋 望の発言

12という数字から

大病から生還して

土地に根ざしたものづくりの新展開

2017年の春に

真木共働学舎の取り組み

映画『アラヤシキの住人たち』に寄せて

「モンデュアル・デュ・フロマージュ2015」に参加して

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から

「2015年3月の宮嶋望セミナー」から

イタリアで考えたこと

共働学舎新得農場の成り立ち

レポート