共働学舎新得農場 代表 宮嶋望の発言と実践

宮嶋 望の発言

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

地域の中へ、地域と共に

共働学舎新得農場には、いま74人くらいのメンバーがいます。そのうち心身にいろいろな負担を抱えている人が半分くらいいて、あとの半分は酪農やチーズ、農業、養豚、養鶏、工芸などに技術をもっている人たちです。また、外国人をふくめてつねにいろんな若者たちが研修で滞在したり、腕一本で独立することを目標にチーズづくりや酪農を学ぼうと、期間の目安を定めて参加するメンバーもいます。

1978年に新得に入植したときのメンバーは、僕の家族を中心にした6名でした。37年たってその12倍を超えたわけですが、僕は原則として来る人は拒まずにやってきました。悩みや問題がある子どもを抱えた親御さんから相談を受けることも少なくありません。多くの場合、まず1週間ここですごして、一度帰ってもらいます。そして本当にここで暮らしたいと本人が戻ってくれば、受け入れます。だいたい半分くらいの人が、戻ってきます。これを何度も何度も繰り返す人もいます。
そんなに無条件に受け入れて大丈夫なのか? 第一スペースがないだろう? 学舎の内外からそう言われることがあります。でも僕は、例えば引きこもりで生活が煮詰まってしまった人がここで暮らしたいと決心するには、みずから「生きよう!」という必死の思いがあるのだと受けとめます。だから、部屋の余裕がないので受け入れられない、とは言いたくないのです。

新得からはいままで多くの人や家族が独立して巣立っていきました。第一級のチーズの作り手となって活躍をしている連中も、ここで「さくら」を開発した七飯町の山田圭介君をはじめ、たくさんいます。近年では新得町との連携もさらに深まり、やがて町内の就農者がいなくなった牧場や農地を借りてここから独立するメンバーも出てくることになりそうです。そうなったときには、うちで暮らしながら、作業のいそがしいときには手伝いに出てもらう(日当制)、といったことも考えられるでしょう。

4月下旬(2015年)、農場内のミンタル(ショップ&カフェ)の横に、新しい施設「カリンパニホール」がオープンしました。カリンパニとはアイヌ語でエゾヤマザクラの意味。新得町の樹であるエゾヤマザクラに、僕たちの看板チーズでもある「さくら」を掛け合わせた名前です。
ここではこれから、いろんな講習会やワークショップなど、地域により開かれた催しを開いていきたいと思います。チーズづくり体験や料理教室ができる設備も備えています。社会的に弱い人たちの就労を支援する「ソーシャルファーム」を十勝で推進する、「十勝ソーシャルファームツーリズム研究会」の活動拠点ともなります。
共働学舎新得農場は37年目を迎え、いま、より地域の中に溶け込んだ活動を意識しています。人々の交流を目的とする「カリンパニホール」は、その象徴的な最前線になります。

ソーシャルファーム(Social Firm)といいましたが、一般にはまだ知られていない言葉だと思います。これはもともと、精神病院の入院患者が病院を出て、サポートを受けながら地域で働くことが有効な治療になるはずだと、1970年代にイタリアのトリエステで生まれた仕組みです。やがて精神病院の枠を越え、心身に負担を持っている人々のケアにも広がり、利潤を追求するのではなく、社会的な課題をビジネスの手法を取り入れながら解決する事業として浸透していきます。社会の弱者に、企業でも福祉施設でもない第三の場を提供できることが画期的でした。
同じころアメリカのウイスコンシン州マディソン市では、市民ボランティアたちが精神を病んだ若者たち(PTSD・心的外傷後ストレス障害、戦争後遺症など)を、施設ではなく地域の暮らしの中でケアする取り組みがはじまり、やがてマディソンモデルと呼ばれる成功例となりました。
また1990年代になってフランスでは、帰る家を失った人や失業者、刑務所の出所者などの社会復帰を進めるために農業を使うユニークな取り組みがはじまりました。これを進めるジャルダン・ド・コカーニュというNPO法人は、耕作放棄地を活用した有機農業によって生活困窮者たちに職業訓練を行い、その活動を地域の人々が野菜を買うことで支えているのです。いまでは120もの農場を持っていて、社会的弱者である雇用者の数は4千人を数えます。2013年6月には、この組織のジャン=ギィ・ヘンケル代表を招いて「第1回ソーシャルファームジャパンサミット in 新得」という催しが開かれ(十勝サホロリゾート)、僕もパネリストとして参加しました。
ヘンケルさんは、世の中の生産と流通、消費に少し新たな発想と仕組みを加えることで、社会はもっと強く豊かになるはずだと言いました。
日本をはじめどの先進国でも、財政の悪化や経済最優先の新自由主義化の傾向などから、社会的弱者のめんどうを国がしっかり見る時代は終わりを告げました。こうした行政主導の福祉の行き詰まりを打破しようと生まれたのが、これらの「施設から地域の中へ」という市民に根ざした潮流です。

近年僕たちは、しばしば日本のソーシャルファームと呼ばれるようになりました。しかし僕らは、ソーシャルファームをめざして活動してきたわけではありません。試行錯誤を重ねてこれまでやってきたことが、どうやら世間ではソーシャルファームと呼ばれるものでもあったらしい、というのが実感です。
いずれにしても、70年代からのこうした動向がいっそう目に見えるようになってきた今日、僕たちもこれまでの新得での取り組みで得たことを、地域に積極的に還元していく時代に入ったと考えています。共働学舎新得農場はいま、地域にさらに開かれた農場をめざして進んで行きたいと願っています。

※2015.05.10「札幌豊平教会建設55周年記念講演会」より(札幌豊平教会)

「2015.05.20 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」

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INDEX

宮嶋 望の発言

12という数字から

大病から生還して

土地に根ざしたものづくりの新展開

2017年の春に

真木共働学舎の取り組み

映画『アラヤシキの住人たち』に寄せて

「モンデュアル・デュ・フロマージュ2015」に参加して

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から

「2015年3月の宮嶋望セミナー」から

イタリアで考えたこと

共働学舎新得農場の成り立ち

レポート