宮嶋 望の発言
「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から
世界レベルの個性を競う時代へ
日本の乳価は、用途によって分けられています。牛乳や発酵乳にする飲用向け、そしてバターなどにする加工向け、さらに生クリーム等向け、最後にチーズ向けという具合です。酪農家がいちばん高く売れるのは、「飲用向け」です。そしていちばん安いのは、残念ながら「チーズ向け」。これを知るとフランスのチーズ職人たちはとても不思議がります。それは逆じゃないのか、と。確かに向こうでは、高級チーズにする原料乳がいちばん高く売れるのです。飲用とチーズ用の乳価の差は少しずつ縮まっていますが、フランスなどとのちがいはまだ大きいといえます。しかし日本でも近年は、乳製品は飲むものから食べるものに少しずつ変わってきているといえるようになってきました。
一方で日本の国内チーズ市場は、8割以上が輸入品で占められています。つまり日本のマーケットははなから世界のチーズマーケットであり、僕たちのような中小工房は、あとからそこに参入した存在です。だからこそヨーロッパのコピーでは勝負になりませんし、一時的に話題を呼ぶようなうわべの仕掛けが成功しても、長続きしなければ意味がありません。高い品質と強い個性をもつチーズを、安定して末長く作り続けること。そうやってその地域で堅実に暮らしていくこと。これがいちばん大切です。
現在の共働学舎新得農場でもっとも個性の強いチーズのひとつが、「酒蔵」です。これは乳酸発酵をうながすスターターと共に日本酒の酵母を用いて、日本ならではの風味を出したもの。最後に日本酒でウォッシュして仕上げていきます。といっても僕たちは酒造免許をもっていませんから日本酒の酵母は買えません。そこで、そこで、菌が休眠している生酒を使いました。
チーズを食べ慣れていない方には「臭い!」かもしれませんが、これが大好きだとおっしゃってくださる方が増えています。この3年間、JALの国際線ファーストクラスの秋の機内食にも採用していただきました。フランス・アルザス地方のマンステールやイタリアのゴルゴンゾーラのように、世界のチーズマーケットでは、その土地でしかできない、特段に個性の強いものがしのぎを削っています。
では、個性的であれば良いのか——。もちろんそんなことはありません。北海道のチーズ工房には、以前はとくに、一国一城の主というかお山の大将というか、あまり根拠もなく自分のチーズがいちばん旨いと信じている職人がいたものです。現在でもその傾向はなきにしもあらずですが、僕はずっと、「自己流」ではなく「一流」になろうと呼びかけてきました。そのためには、世界の価値基準を知らなければならない。何百年もヨーロッパの各地で愛されてきたチーズのことや、その背景にある文化を知ることも重要でしょう。
その上で僕たちは、フランスの職人を招いて技術を学び、十勝の仲間や道内各地の工房と、北海道の風土に根ざしたレシピを研究し合い、さらには世界と共有できるチーズの価値評価の仕方を学んできました。
G8北海道洞爺湖サミット(2008年)の晩餐会では、コンテやゴルゴンゾーラと並んで僕らの「さくら」もチーズプレートにのりました。イタリアのベルルスコーニ首相は「さくら」をお代わりしてくださり、感激しました(もっともそれをあとでイタリアの友人に話したところ、彼はなんでもお代わりするんだよ、と笑われたのですが)。サミットではほかの道産チーズもふるまわれ、好評をいただきました。メディア報道では「これで道産チーズは世界と肩を並べた」というとらえ方が多くありました。しかし客観的にいって、それはちょっとひいき目が過ぎるぞ、とも思いました。道産チーズの成長と成熟は、先人たちも含めたこれまでの試行錯誤の上に、いまようやく本格的な緒についたばかりなのです。
※2015.04.10「石狩家畜人工授精師協会」第64回定期総会での講演より(札幌市・北農ビル)
「2015.04.25 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」