共働学舎新得農場 代表 宮嶋望の発言と実践

宮嶋 望の発言

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

父といっしょにマザー・テレサを訪ねた日

去る4月27日(2015年)、共働学舎の創立者である、父の宮嶋眞一郎が亡くなりました。92歳でした。現在の共働学舎新得農場は、父が40年以上前に構想した理念を僕たちなりに実践してきたものですが、ここにくるまでは実にさまざまなことがありました。

宮嶋眞一郎が1974年に長野県北安曇郡の小谷村(眞一郎の父のふるさと)で共働学舎を立ち上げたとき、土台に据えたのは次の4つの理念でした(「 」の中の文言)。
● 弱い人間が淘汰されてしまう「競争社会ではなく協力社会を」
● お金がなくても自由と尊厳をもって生きていける「手作りの生活を」
● 法律や行政に依存するだけではない「福祉事業への願い」
● 他を愛し共に生きることができる「真の平和社会を求めて」

眞一郎のかかげた精神をひとことで言えば、「自労自活」です。たとえ心身に重たい困難を抱える境遇にあっても、自分で自分の生活を成り立たせていくということ。この考え方は、僕自身大好きなものです。これができれば、多くの人が生きることの自由や手応えを実感できるでしょう。しかし当然、実践するのは並大抵のことではありません。
眞一郎が50歳で共働学舎を立ち上げた年、いささか父との葛藤をかかえていた長男である僕は、そこから距離を置くようにアメリカに行きました。ウィスコンシン州の牧場で働き、ウィスコンシン大学で酪農を学びました。4年あまりアメリカで暮らしてたくさんのことを身につけて帰ってきた1978年、新得町から支援をいただき、家族ら6名で共働学舎新得農場を開きます。共働学舎4番目の農場でした。
当初から僕たちが取り組んだのは、お金がなくても持続的に自活できる仕組みをはやく作ること。最初に手元にあったのは、新得町が無償で貸してくれた山の町有地(30町歩)くらいです。ここに家を建て牛を飼いチーズをつくり、自分たちの食べものは、野菜をつくったり豚やニワトリを飼って、米以外はだいたい自給する。たくさんの方々にご支援をいただきながら37年経ったいまでは、ヨーロッパでも評価される高品質のチーズができるようになり、100町歩を超える土地で酪農と農業をして、74人くらいの人間が暮らしています。このうち半分くらいが、心身になんらかの負担を抱えている人たちです。

共働学舎には、いろいろな困難を負っているさまざまな人が来ます。例えば、自閉症、癲癇(てんかん)、弱視、統合失調症、躁鬱(そううつ)、引きこもり、学習障害、アスペルガー症、ホルモン異常症、サリドマイド症候、舞踏病、ホームレス、弱視、DVに悩まされている人々、などです。
父の心にはいつも、新約聖書の「コリント人への手紙第一12章」が息づいていました。人間のからだについて、それはただひとつの肢体(器官)ではなく、多くの肢体(器官)から成り立っているのだ、と説かれる章です。
この章の17節からは、「もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。そこで神は御旨(みむね)のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである」とあります。
それから、「目は手にむかって、『おまえはいらない』とは言えず、また頭は足にむかって、『おまえはいらない』とも言えない。そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする」とつづきます。
つまりここでは、世界にはむしろ弱いものが必要なのだ、と書かれているのです。「弱いものの小さな声」に耳を傾けること。強いものと弱いものがそれぞれあってはじめて、世界は調和をもってひとつの豊かな響きを奏でるでしょう。父は、弱い人たちが自労自活できるようになることが、弱い人たちだけにとどまらず世界の全体に意味のあることなのだ、と信じました。強いものだけ、弱いものだけの世界があるとしたら、そこでは深い共鳴が起こりません。それはなんと薄っぺらで脆弱な世界でしょうか。

20年以上前になりますが、父と、来日中のマザー・テレサを東京に訪ねたことがあります。彼女のドキュメンタリー映画を撮っている方が共働学舎のことを伝えてくれて、会ってくださることになったのです。父は英語教師でしたから英語は話せるのですが、感動のあまり言葉がでません。もっぱら僕が話をしました。共働学舎の理念と実践を説明しました。そして、いまやっていることにひとつの区切りがついたら、自分もあなたのように世界に出て困っている人々の力になりたい、と言いました。
すると彼女は、「あなたは何を言ってるの?!」と怒り出したのです。びっくりしました。マザー・テレサは、「弱い人がいちばん必要なものを届けるのが自分の仕事だ」とおっしゃいました。彼女はインドで、人生の最後に家もなく病院にもかかれず葬式もだしてもらえない貧しい人々を世話する、「死を待つ人々の家」という施設を作って活動していました。死期の近い貧しい人々がもっとも必要としているのは、人間としての尊厳です。それを彼らにもたらそうという取り組みです。また東欧の彼女の故郷では、砲弾が飛び交う戦地の中に取り残された障害児たちを命がけで救ったこともありました。そのときその子どもたちにいちばん必要だったのは、安全だったのです。
彼女は、「心がいちばん飢えているのは日本の子どもたちじゃないの?」と問いかけてきました。日本のものや経済や教育は世界のトップレベルにあるのに、そのことが必ずしも子どもたちを幸せにしていないことを、ちゃんと知っていたのです。「あなたは日本のそういう人たちのために仕事をしているのでしょう? すぐそばにいる彼らを助けることもしないで、あなたはほかに何をしたいって言うの?」

ひと言も返せませんでした。そして次の瞬間、自分の針路がよりしっかりと見えてきました。外に気を取られすぎず、自分たちの農場がある土地にしっかりと根ざしながら、できることをひとつひとつやっていこう。自分にそう誓いました。

※2015.05.10「札幌豊平教会建設55周年記念講演会」より(札幌豊平教会)

「2015.05.20 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」

ホームへ戻る

INDEX

宮嶋 望の発言

12という数字から

大病から生還して

土地に根ざしたものづくりの新展開

2017年の春に

真木共働学舎の取り組み

映画『アラヤシキの住人たち』に寄せて

「モンデュアル・デュ・フロマージュ2015」に参加して

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から

「2015年3月の宮嶋望セミナー」から

イタリアで考えたこと

共働学舎新得農場の成り立ち

レポート