共働学舎新得農場 代表 宮嶋望の発言と実践

トピックス

新刊のご案内

このたび新刊を上梓いたしました。まもなく発売です(2017年1月25日)。

社会は「強い者」だけが動かすものではない。障がい者や弱い立場に立つ人は、これからの社会にむしろ積極的な意味合いを持つ存在のはず。新得共働学舎で約40年にわたって営んできた日常が深めてくれた、そんな理念と思いを綴ったものです。ここに前書きを掲載します。

 

「共鳴力」宮嶋 望(地湧社)

https://www.amazon.co.jp/共鳴力-宮嶋望/dp/4885032393/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1483489808&sr=8-2&keywords=宮嶋望

 



「共鳴力」宮嶋 望(地湧社)

まえがき

2016年(平成28)8月に、障がい者施設で、元職員により大量殺害される事件がありました。一度に19人もの人が殺害されるという事件は、戦後最大で日本近代史の中でも津山32人殺しに次ぐ殺人事件です。

この事件自体が怖ろしいことであるのは当然ですが、それ以上に、強く僕の心に突き刺さったのは、この事件の犯人に共感する人々がいるということでした。共感しないまでも、漠然と「殺された人たちは可哀想だけど、生きていてもしかたないのだから、むしろよかったのかもしれない」という思いを抱く人がけっこう多いということです。

殺された障がい者の家族も、今回の事件で被害者が名前の公表を断った理由として、「この国では、全ての命はその存在だけで価値があるという考えが当たり前ではないので、とても公表することはできません」(毎日新聞、2016年8月6日)と、日本で優性思想が根強いことを伝えています。

この事件についてマスコミでは事件の衝撃やネット上などに共感する発言があると伝えたものの、そうした発言の根底にある価値判断にまで深掘りしたものは少なかったと思います。

口には出しにくいけれど、「障がい者は生きていても無駄じゃないか」、そんな思いを持つ人が多いのだと思います。そうした思いを完全に否定しきれる人は少ないのでしよう。犯人の男は、そうした思いをエスカレ—卜させ、「人はどんな状態でもよいから生かしておくべきなのでしょうか?」という問いを投げかけてきた。そして、「自分のことが自分でできない人を、そんな存在はもういらない。そこにお金をかけてケアをしている社会福祉の行政の仕組みの中で、自分はこんなに大変なんだ」と結論を出して殺害を強行し、命をポンポンポンと消していった。それに同調するかのように、「犯人はよくやった!」「障がい者は死んで当然!」「生きていてもしようがない」という共感が起きたわけです。

そんな考えに対して、僕はまったく違うと言います。「まだ、そんな考えをしているの?」と言いたい。「障がい者を含めていまの世の中で生きづらさを抱えている人たちこそ、次の時代の問題点や解決方法を伝えるためにやってきたメッセンジャーであり、大切な存在なんですよ」と言いたい。

一般に、障がい者や弱い立場に立つ人と一緒に生きていくため、社会的な援助や相互扶助をするのは、功利主義的な文脈から、誰もがいつそういう立場になるかわからないという保険的な意味合いが強いのだと思います。アメリカの哲学者ジョン•ロールズの「無知のヴェール」による正義論につながる考え方です。しかし、僕は、障がい者や弱い立場に立つ人はむしろ積極的な意味合いを持つ存在だと思うのです。

そもそも、自然界や生態系は多様性に満ちています。人間世界も多様性があったほうがよいのです。なぜか? 世界は想像もしていないような変動が起きる。そうして環境が大きく変わったときに、それまでの環境で押さえつけられてきて芽が出なかったものが、新しい環境に対応して大きく成長するようになる。あるいは、新しいエネルギーの循環を生み出してその主役になる。それまでデカイ顔をしていたものが潰れて、そのあとに入れ替わっていくのです。これが自然の原理であり、宇宙の原理であり、この世に存在するものの宿命です。

よく、生命の世界も人間の世界も「弱肉強食」だといわれます。これは、間違いです。「弱肉強食」ではなく「適者生存」です。つまり環境に適応した者が結果として強者になっていくのです。ただし、いまの環境に適応すればするほど、新たな環境への適応力は弱まります。恐竜の絶滅もそうして起こりました。いま人類も人間社会も危機に直面していると、現代の思想家や科学者が警告を発するのも、そうした原理に基づいているからです。

ひと言でいえば、この世界に「いらない人間なんていない」ということです。いま弱者とされている人々の中に次の時代を切り開く種があるということです。例えば、彼らが生きづらいとされる立場で、生き甲斐や充実感、生きる喜びを見つけることができたら、その営みの中にみんながよい人生を送るのに役立つヒントがあるはずです。彼らが予想もしない力を発揮することを知れば、彼らを劣った存在だとか単に保護する対象というふうに見ることができなくなります。そして、彼らを含めみんなで共働し、共生し、共鳴し、共感することが必要だと知るでしよう。それが、僕たちが未来に向けて生き延びる道なのです。

彼らは「可哀想な人々だから生かしてあげる存在」ではありません。「彼らも含めたみんながいるから、僕たちは次の環境でも生きていける」のです。この四、五〇年間、生き方を変えよう、社会を変えよう、世界を変えようという試みが少しずつ行われてきています。障がい者福祉も少しずつ充実してきたし、持続的に新しい生き方がうまくいっている例もあります。

道は見えているのです。もっとも、まだまだ世の中の価値基準では評価されていません。人間すべてに価値があることの意味が浸透していない。それが、障がい者施設の事件で示されたというわけです。

この考え方にまだ納得できない方もいるかもしれません。しかし、本書で紹介しますが、例えば僕らの新得共働学舎では、自閉症の子どもの5oo円玉貯金がきっかけでチ—ズ製造の本格的な研究施設ができて、とうとう世界グランプリのチーズができてしまった。おかげで、僕らは「自労自活」で生きていくことができるようになったのです。障がいがあることによって、予想もしない生き方が拓かれたのです。

新得共働学舎の40年間はそうした試みの連続でした。本書で紹介するのは、これまで実践してきた、共働、共鳴、共生、共感のやり方です。これらは次の時代の生き方であり組織運営のノウハウです。だから、現代に生きる人々みんなの参考になると確信しています。

 

宮嶋 望

 

 

 

2017-01-09


ホームへ戻る

INDEX

宮嶋 望の発言

12という数字から

大病から生還して

土地に根ざしたものづくりの新展開

2017年の春に

真木共働学舎の取り組み

映画『アラヤシキの住人たち』に寄せて

「モンデュアル・デュ・フロマージュ2015」に参加して

「札幌豊平教会」建設55周年記念講演会から

「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から

「2015年3月の宮嶋望セミナー」から

イタリアで考えたこと

共働学舎新得農場の成り立ち

レポート