宮嶋 望の発言
真木共働学舎の取り組み
エコミュージアムという方法
車で行けない場所とはいえ、真木共働学舎には電気と電話がかろうじて通じています。パソコンもあります。肉体的、精神的に負担や生きづらさを抱えている人たちを含めたメンバーの10数人は、だから山奥で修行者のように暮らしているわけではありません。しかし食糧の大部分は自分たちでつくり、季節の行事から集落のインフラの維持管理まで、ほぼ「自労自活」の暮らしをしています。自由学園での先輩でもある本橋成一さんは、映画『アラヤシキの住人たち』でそのようすをいきいきと描いてくださいました。
東京や北海道内の映画館などで、この映画の紹介トークを僕もお手伝いしました。本橋さんには、日本にもいまどきこんな暮らしをしている人たちがいるということを多くの人に知ってほしいという思いがありました。各地でかなりの反響が起こりました。DVDも発売されましたし、本橋さんも手ごたえを感じたようです。「いま生きている生身の人間として、この社会や文明をどうとらえるか?」これまで本橋さんは、映画や写真を通してそのことを探求してきたと思います。そして僕は、それをモノづくり(チーズづくり)によって考えてきたわけです。
前に少しふれましたが、僕のチーズの師匠であるジャン・ユベールさんに最初に会ったのは、アルザス(フランス北東部)のエコミュージアム、「エコミュゼ・ダルサス(Ecomusee d’ Alsace)でした。ユベールさんの地元アルザスを訪ねたとき、彼は僕をわざわざそこに呼び出したのです。
このエコミュージアムは、農村で取り壊されそうになっている古い農家や納屋、家畜舎、水車小屋などを移築して保存しようと1970年代から準備がはじまり、80年代半ばにオープンしたもの。まず、古い農家の修復を手伝っていたボランティアの若者たちが、アルザス各地で取り壊されようとしている木組みの家を残すことを考えました。その思いと方法が、この大きな野外博物館にまで育っていったのだそうです。
重要なポイントは、運営の主体が行政や企業ではなく、そこに暮らす人々であること。つまり博物館といっても、ここは単なる展示施設ではありません。電気や近代の機械がなかった時代の数十戸の農家があつまり、伝統的な手法で実際に農業や酪農が営まれ、チーズが作られています。村の行事なども見せ物としてではなく、あくまで住民たちのために行われています。そしてそういう暮らしが見たくて、さまざまな人々がここを訪れます。宿泊施設もあり、アルザスのおいしいチーズとワインや、伝統的な料理が提供されています。
ユベールさんは、お前が日本でちゃんとしたチーズを作りたいと考えるのなら、ここを見ろ、と考えていたのでした。俺たちは電気もない時代から、風土と一体となった暮らしの中でこうやってチーズを作ってきたんだゾ、と。
訪れる人々にとって、「ここでは今でもこんな暮らしが営まれている」という気づきが、自分がふだん暮らしている世界に新たな視点をもたらします。先に述べた、「いま生きている生身の人間として、この社会や文明をどうとらえるか?」という問いが自然に湧いてくると思います。
「エコミュゼ・ダルサス」の重要な動力源が、水車です。水路に水を汲み上げたり粉を挽いたり、製材の機械の動力にもなります。
実は真木にも、共働学舎が入る前に水車が大活躍していた時代がありました。ユベールさんに最初にエコミュージアムを見せてもらったのは四半世紀も前のことになりますが、それ以来僕の頭には、エコミュージアムの成り立ちと真木の暮らしがどこかで重なって見えていました。
おりしも真木では、メンバーの中で土地や自分たちの針路について、さまざまな話合いが行われるようになっていました。きっかけのひとつは、建物の老朽化や修繕の必要性です。そして複数のメンバーに子どもが生まれ、次世代のことをみんなで自然に意識するようにもなりました。真木の責任者は僕の弟である宮嶋信ですが、共働学舎ではどこでも、組織の上からの指示で物事が決まることはありません。彼は、真木の将来をどうしたいのかをメンバーにじっくりと考えてもらうことにしました。そして僕は、北海道にいる共働学舎のメンバーとして、彼らの考えや行動を応援したいと思っていました。
その中でやがてつながってきたのが、前稿でふれた、「新月の木」による建物の修繕や建て替えだったのです。
「2016.01.22 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」