宮嶋 望の発言
「石狩家畜人工授精師協会第64回定期総会」での講演から
山のチーズオリンピックが教えてくれたこと
僕たちの現在のチーズ工房は、金融機関をなんとか説得しながら元手を集め、1991(平成3)年に建てました。この半年ほどあとにバブル経済が破綻しましたから、あとで考えるとじつに運が良かったのです。金融機関が冷淡だったのも無理はありません。なにしろ当時、ナチュラルチーズづくりがビジネスとして成り立つとは、まったく思われていなかったのですから。しかし良いチーズを作ればどんどん売れるはずだと、僕は緻密な事業計画を精一杯組み立てました(一面では大風呂敷ともいえるかもしれません)。
けれども当初、なんとしたことか、チーズは全然売れませんでした。日本のチーズの市場の多くは、いわゆるフランス流の「本物」のナチュラルチーズの濃い味に慣れていなかったのです。風向きがようやく変わりだしたのは、1998年。フランスのチーズのAOC(原産地呼称統制)を立ち上げたジャン・ユベールさん(当時仏AOCチーズ協会会長)にすすめられて取り組んでいたラクレットが、「第1回オールジャパン・ナチュラルチーズコンテスト」でグランプリを取りました。ここから現在につながる針路が安定しだしたのです。
次の目標は、ヨーロッパです。国外からも参加できるユニークなコンテストがありました。「山のチーズオリンピック」です。
これは、標高が高く傾斜がきついといった厳しい条件下(標高600メートル以上で、傾斜が20度以上あって放牧しかできない土地)にあるフランスやスイスなどの小規模な牧場のチーズ工房が、自分たちの手で2002年から立ち上げた国際コンテストです。フランスのコンテやスイスのグリュィエールといった彼らのチーズは、一軒当たりの生産量は少ないものの、昔から国際的に高く評価されていました。そして彼らは、機械による大量生産が世界のスタンダードになってきているけれど、土地に根ざして風土とともに生きている自分たちのチーズこそが高品質で経済価値が高いんだということを、オリンピックと銘打って国内外にアピールすることを決めたのです。身内の枠にこだわらず、アジアや北米など世界に門戸を広げたことが、オリンピックと名乗ったゆえんです。
僕たちは第1回から参加したのですが、賞が取れたのは第2回の2003年。開催地はフランスのラルースで、出品したのは、この大会のために開発した「さくら」です。「さくら」は、ジオトリカムという酵母を使って白さを際立たせた上に、桜の香りをほのかにつけたソフトタイプのチーズです。桜の花の塩漬けをトッピングすると、日の丸のイメージにもなる。こうした個性と味わいが評価されて、フレイバーソフトチーズ部門の銀賞をいただきました。
これには驚いたしうれしかったし、自分たちのやってきたことが世界に通じた、という感動がありました。でも僕は欲ばりなのか、すぐ、なんで金じゃないのだ、と思いました。しかし考えてみると、銀で良かったのです。一等賞はスイスの工房で、彼らのプライドは保たれたのですから。極東のチーズ新興国の牧場が俺たちのチーズを相手に腕試しに来て銀メダルを取った。やるじゃないか、よしよし、と。
次の年、2004年の開催地は、スイスのアッペンツェル。同じく「さくら」を出品しました。前年の「さくら」には表面に少し青カビが出て、ピカンテと呼ばれるピリッとした辛さも部分的にありました。でもフランス開催だから白・赤・青のトリコロールで良しとしよう、と思っていました(品質上の欠点とはなりません)。しかし今回は、水分量を調整するなどして、この青カビを押さえる工夫をしたのです。なにしろスイスの国旗は赤と白ですからね。
はたしてこの年、「さくら」はフレイバーソフトチーズ部門の金メダルを獲得し、その上で、14あるカテゴリーを3つにくくった(フレッシュ、ソフト、ハード)うちのソフト部門のグランプリまで取り、800数十個の内の最高賞までいただいてしまったのです。
審査発表の場は大騒ぎでした。ステージには日の丸が踊り、楽団が君が代を演奏しはじめます。よくぞ楽譜を用意していたものだ、と感心しました。テレビや新聞のカメラも殺到します。さすがオリンピックの演出です。後日聞いたのですが、スイスやフランスの夕方のテレビニュースでこのようすが大きく取り上げられたそうです。といっても好意的にではなく、時計やカメラや車と同じようについにチーズまで、メイドインジャパンがヨーロッパに進出してきた、という文脈で。チーズを含めた料理の世界で、日本人がヨーロッパでトップに立つということは極めて稀なこと。これには、あのジャン・ユベールが応援している日本人、という追い風があったと思っています。つまり、心情や政治的なバイアスをかけずに、僕らのチーズを正当にジャッジしてくれたのです。
表彰式で、強く印象に残っていることがあります。銅メダルのフランス人が、ぎゅっと握った握手の手をずっと離さずこう言ったのです。「来年絶対来いよ! お前にはミッションがあるんだ」
来年来いよ、というのは「勝ち逃げはなしだぞ」という意味でしょう。でもミッションとは何だろう。その後そのことをずっと考えていました。やがて、はっきりとわかってきました。彼らの理屈はこうです。
「俺たちは機械化もできない山の土地で、はるか昔からチーズを手作りしてきた。規模や効率が世界を支配する時代になって、俺たちは俺たちのやり方を経済的に守るためにオリンピックをはじめた。そこにチーズ後進国のお前がやって来てグランプリを取った。俺たちにとってそのことの衝撃はどんなに大きなものか。でも俺たちはお前のチーズをフェアにジャッジしたんだぞ。だからお前は、俺たちの気持ちを受けとめろ。規模や効率ではなく、土地に根ざした品質と個性で経済価値を作り出す山のチーズの考え方を、日本やアジアにしっかり伝えてくれ」——。
共働学舎新得農場のチーズづくりの骨格は、ここに定まりました。そしていま日本でも、山のチーズオリンピックが掲げるような理念を具体化させていく「地理的表示の保護制度」、英語ではPGI(Protected Geographical Indication)と呼ばれる新たな品質保証の制度が法制化されようとしています。
※2015.04.10「石狩家畜人工授精師協会」第64回定期総会での講演より(札幌市・北農ビル)
「2015.04.25 テキスト編集/谷口雅春(ライター)」